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隣の女房と…

島原鉄道の終点、島原。 

駅舎を出ると正面に清楚な佇まいの『島原城』が出迎えてくれる。
左後方に見えているのが1991年6月に大噴火したあの『普賢岳』。

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私たちは噴火の翌年に奇しくも『怒る富士』という宝永年間に富士山が
噴火した話の舞台をこの島原で上演。

公演はもちろん噴火の前から決まっていたのだけれど、この大噴火で
公演中止になるかと思いきや…否!!
こんな時だからこそと、地元の方々の強い要望と我が劇団との思いが
一致して昼夜2回公演が実現したのでした。

私たちが公演で伺った時は噴火から約1年経っていたけれど、町なかには
まだ灰が降り積もり、土石流に流され傾いて土砂に埋まった家がそのままに
なっていたりと、そこかしこに市街地に流れ込んだ火砕流のつめ痕が残って
おり、文化会館の駐車場は炊き出しの自衛隊車でいっぱいでした。


あれから20年…この間何度も訪れる機会があり、静かななかに芯の強さと
歴史の深さを感じるこの町がどんどん復興していくのを見るのが楽しみなのです。


今はまちのあちこちの水路に鯉が泳ぎ、街中にちょろちょろと流れ出る湧き水や
温泉水でのどを潤しながら歩くことが出来ます。

『涅槃像』や『島原城』や『武家屋敷』などが2キロ四方くらいのところにあり、
コンパクトで暖かな街並みは、各地を旅するなかでも「私の好きなまち十選」に入ります


そして散策の休憩は『水屋敷』という茶房

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「祖母の古い家でした」という古民家をそのまま茶房にしてあり、
だいぶギシギシいうけれど、開放的な縁側で足をぶらぶらさせながら
池の鯉を眺めつつ、つるりと喉に吸い込まれていく『かんざらし』を
楽しむ…目に舌に耳に…五感が一瞬にしてリフレッシュする至福の時。

『かんざらし』とは清らかで冷たい水で作られるここならではの絶品
美味の白玉で小豆をトッピングしても、なんと361円
美味しいお水と一緒にお盆にのせて運んで来てくれるのです


そして島原は海の幸にも恵まれていて、リーズナブルな感覚で新鮮な
魚料理が食せるのも嬉しい限り

そんな旨し酒と肴が楽しめるある小料理屋さんの床の間に飾ってあった
額絵の文言

隣の女房とガンバ汁
旨い筈だよ 命がけ


『ガンバ』とは島原地方の方言で『ふぐ』のことだそう
ですが、そんな美味しいものを「お向かいのご隠居」でも「2階の居候」
でも、ましてや「山の神」とでもなく、「隣のニョーボ」と一緒に召し
上がったところがミソ…いやさ『粋』ですなあ、この方は。



                 2011.9.25  

さがんまちの街角恵比寿


佐賀は日本一街角に恵比寿さまがいる(なんと400以上)町なのだそうです

これは呉服元町の角にある和菓子屋さんの店先にいた『道しるべえびす』
だから恵比寿様の左側に建っている石碑には「こくらみち」、「ながさきへ」の文字とゆび指しが彫り込まれています。

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ほかにも「仲良し恵比寿」「ゆめこい恵比寿」「赤ちゃん恵比寿」「ハンサム恵比寿」「旅立ち恵比寿」などなど楽しそうな恵比寿様がまちのあちらこちらに



その長崎街道の下水道の蓋には大名行列(?)の様な模様が。   おしゃれ~

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ツアーの宿泊は、この頃ほとんどホテルなのですが、佐賀はいつも老舗旅館『あけぼの』に泊まります。

今夜はあけぼの名物の湯豆腐。

温泉水の中のフルフルふわりのお豆腐がゆらゆらしてから2~3分、お豆腐の角が取れてきたら、まずはゴマたっぷりのたれでフツーに湯豆腐として戴き、あえて少し残したお豆腐をややつぶしながら煮立て吹きこぼれそうになったら、火を止めてうちわなどで表面をパタパタと煽ぐ…と、みるみる膜が張ってくる
その膜の下にそっと箸を差し込むと…そうとってもクリーミィな生ゆばの出来上がり

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お鍋は4人一組ですが、何故かとても上手く次から次へ出来るグループとなかなか湯葉にならないグループがあって、別のテーブルから遠征してきたり…。
夜店の金魚すくいの様にいつも盛り上がるのです

2011.9.22

かっぱのワンパッ君


佐賀の町にはかっぱの家族がいる
なかでも私の一番のお気に入りは『ワンパッ君』
いかにもわんぱくそうな男の子が、また何かいたずらを思いついて橋の上から身を乗り出しているような様がと~っても可愛い

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お昼寝中の『かあさん河童』に甘える『赤ちゃん河童』…遊んで欲しいのかな、おっぱいが欲しいのかな
遠くに見えるのが『父さん河童』…何を抱えてるんだかわからないけれど、疎外感さえ漂う風情は、何だか身につまされます

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河童の世界では一人子供を生むたびに人間に近づくのだそうです。
ということは…父さん河童は永久に人間にはなれない、のかな


『カッパの松太郎』くん

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パッと開いた右手と握手すると…
なんと橋の真ん中から勢いよく水が噴き出すのです
後方右上から勢いよく吹き出ているのが見えますか?


のんだらのれん

大分の街を歩いていたらあちらこちらにこの『暖簾』が!
そう!「飲んだら」「乗れん」…お酒を飲んだら絶対乗ってはいけないなのだぁ!

「座布団一枚!」
(残念なことに写真撮り損ねましたが


宮崎の『てげてげ』
最初に見たのはタクシー会社の車庫に掲げてあった「てげてげ運転はやめよう!」という横断幕。
「いい加減」とか「おおざっぱ」とかいう意味だそうで、「これは宮崎人気質ですね」とはホテルのフロントマン。
前知事さんのおかげで全国的に知れ渡ったそうですが、私は知りませんでした
なんだかあまりいい意味ではない様だけど、おおらかな空気を感じたのは確かです


直方の『成金まんじゅう』

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『まんじゅう』というから球状のものを想像していたら…どちらかというと『どら焼き』
でも、とにかく大きくずっしり重い!そして甘い!!
成金饅頭というネーミングが凄いけど、かつての炭鉱まち最盛期の繁栄振りが偲ばれます。
甘いものは最高のご馳走だった当時、思いっきり食べてみたいという願望の表われだったのですね~。
なんと30人がかりで完食致しました

ただ、今は数日前から予約しないと手に入らないそうです。
直方の原田事務局長、ご馳走様でした~


サムネイルにしたいのに出来ない(なぜか時々出来る)ので、こんな大きいままで恥ずかしいけど…
かなり酔っている状態の私
〈熊本のホテルにて〉

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携帯の写メだけど…

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ホテルの窓から見えた『大分カトリック教会』
入り口には大型台風12号の暴風雨のなか、入っていかれた信心深そうな
ご婦人の水色の傘が一本…。


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台風のなか大分から宮崎へ移動…日向の海辺。
空は暗く波は荒かったけどさすが南国って感じ!!


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熊本市民劇場さん50周年記念のお祝いに劇団員役者全員のサイン(両サイドに入っている)入りのパネル(B2版)をプレゼント。
私の夜なべ仕事なのだぁ!

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ホテル6階の部屋からみえた『桜島』
一見穏やかだけど、街なかはサングラスなしで歩くのはちょっと厳しい。
口の中もすぐジャシジャシになる。
でもこんななか、今日(9月11日)は市内のあちらこちらで運動会が催されているとのこと。

今回は公演スケジュールがタイトでせっかく鹿児島に来ても、霧島にも知覧にも行けなかった
でも、昨夜終演後、夜遅く、フェリーで桜島までちょっとしたひとり旅をして来ました。
たった15分のクルーズだったけど、遠ざかる鹿児島の夜景を眺めながらデッキの上で
夜風に吹かれて飲んだマッコリソーダの美味しかったこと
そして…な~んにもせずに桜島からまた折り返した同じ便で鹿児島港に帰って来ました。

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小さな至福の時

2011.9.11

老後住みたい街…

10代の頃は北欧に憧れ、30歳代中ごろには、老後はオーストリアのザルツブルグに住む!と決めていました。

その後、ベトナムも、あ!シンガポールでもいいかな、さらには沖縄、隠岐の島もいいな…と次々に思考(嗜好?)は推移し、この頃の第一候補は大分県別府なのであります。

私の別府デビューはやはり初舞台の1980年の松竹巡演でした。
当時は今はなき(ときわデパートになっている?)別府観光会館での公演でした。
その時の別府の記憶は、湯煙にけぶった町並みに硫黄の匂いがあふれていました。
棚に並んだたくさんのカップからマスターがそのお客に合わせたコーヒーカップで珈琲を淹れてくれるお洒落な喫茶店と、赤木春江さんの様なお母さんがいる団子汁の美味しい定食屋さん…。


その翌年に『星は歌っている』というオムニバス形式のミュージカル公演で伺った時、台風が直撃!
私たちはお客様がひとりでもいらっしゃれば公演するつもりでしたが、主催者サイドが公演中止の決断を下したので、その日私たちは宿屋の大広間に集まって、なす術もなく、
窓の外の真っ赤な花をつけた海紅豆の木が雨風に煽られ激しく揺れるのをただ見ているだけでした。
が、なんと!!
どうしても別府で公演してほしいという主催者の熱いご要望で、その後約1ヶ月間九州を廻ったあと、最終日に再び別府に戻って公演してから東京に帰ったのです。

これはたまたまそのときに会館が空いていたのと劇団のスケジュールの調整がついたので実現した、稀有で感動的な出来事でした。

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        《ぴかぴかおじさん》

その後、今日まで何度もなんども来る機会があった大好きな街。


そいいえば移動日にメンバーみんなで鉄輪(かんなわ)温泉でレクリエーションをしたこともいい思い出。(あの時ゲームとはいえ、生卵を思いっきりその広いおでこで割ってしまった津田恵一先輩…ごめんなさい!)


2006年、別府の、とあるワインの美味しいお店で知り合い、その翌日大分市民劇場の会員になって舞台を観てくれた真実ちゃんとはその後ずーとお友達。
真実ちゃんからの楽屋の差し入れはいつも鉄輪温泉海地獄のマグマオンセンの薬用浴剤。これはそんじょそこらの入浴剤ではない!

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マリンブルーのそのお湯に浸かれば体中から「キシキシ…」と音をたてて疲れが沁みだしてゆくのがわかるほどの優れもの!なのです。(東京でも私お取り寄せしてます)

それから子育てしながら県会議員として頑張っていた同じ年のz子さん。
今は少し離れた街でゆっくり…ね。


そして極め付きは…。
『出雲の阿国』の振り付けをして下さった吾妻寛穂先生の別荘兼お稽古場が別府にある。
阿国の踊りの稽古がスケジュール的に東京だけで間に合わなかった時、私の別の作品の九州公演に合わせて、別府のお稽古場を開いて下さり、公演の合い間を縫って特別レッスンをして頂きました。
ある時は北九州から泊り込みで、またある時は大分市内で公演中に、楽屋入りの前に早朝稽古に大分から通ったり。
でも先生の稽古場は温泉つきなので大汗かいてもすっきり!なのだ~!
先生にいつも連れて行って頂く『大阿蘇』の馬刺しとにぎりは最高!!!

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               2011.9.1

※ぴかぴかおじさん…別府温泉観光の父「油屋熊八」
子供が大好きで子供たちのために『オトギ倶楽部』を結成。

平成筑豊鉄道田川線

飯塚の嘉穂劇場で白い犬に裸の背中を舐められちゃった話…の続きです。

その松竹の巡演は50人近い役者人頭だったため、2階の楽屋の廊下にもズラッと鏡と電球を並べてもなお楽屋が足らず。
連盟が一番下だった私とあの2人は建物の中に入りきらず、舞台の裏手の中庭に通じる渡り廊下のすのこの上が化粧前として割り当てられました。
半べそかきながら、星空の下、もろ肌脱いで背中まで白粉を塗っていた時!
先般の白わんこが現れ、クンクンと私の首筋を嗅ぎ回ったあげく背中をペロりとひとなめして悠然とどこかへ去って行ったのでした。
もちろんその間、私は塗りかけの白粉をはたくことも出来ず、フリーズしていたことは言うまでもありませんでした。
もう30年も前…初舞台の時の貴重(?)な体験でした。

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今回はその飯塚から第三セクターの『平成筑豊鉄道田川線』で直方、田川と、筑豊の旅は続きます。
たった1両編成でコトコトと緑深い山を一生懸命走る、その車両も可愛いけれど、
途中の駅にはユニークな名前の駅が沢山!!その中でもNO1はなんといっても…

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『源じいの森』

ここには温泉があるそうです。そそられます~!!
いつかプライベートで降りてみたいみたいものです。

2011.8.30

憧れの飯塚嘉穂劇場!!

下関から海峡を渡ってまた九州に上陸しました。

今日から九州筑豊エリアの演劇の殿堂(?)嘉穂劇場での公演です。
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昔ながらの佇まいをそのまま残している嘉穂劇場は「劇場」というより「芝居小屋」と呼ぶにふさわしい。
その歴史ある嘉穂劇場に初めて立たせて頂いたのは忘れもしない1980年、劇団に入った年の夏で、前進座本隊の舞台ではなく、松竹さんの巡演公演でした。

客席はもちろん升席、奈落は人の力で廻り舞台を動かした時のまま、楽屋のお風呂は五右衛門風呂(生まれてはじめて見た!)、窓にも扉にも人が出入り出来るところには全て泥棒よけに短冊に書かれた『十二月十五日』という文字が逆さまに貼られ…どこもかしこもまるで江戸時代!!

その上、升席からお手洗いに行く通路がないので、開演中用足しに行くお客様は花道を通らなくてはならない…でもそんな光景は日常茶飯事らしく、ご本人はもちろんお客様がたも至極当然のご様子。
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そんな状況下芝居が進み、花道から颯爽と登場した梅之助さんのすぐうしろから、なんと腰の曲がったおばあちゃまが手を拭き拭きトコトコついて歩いて行くではありませんか!
もちろんそんなこととは知らない梅之助さんは、いつもの様に花道の七三に立ち止まってぐっと舞台上を見込む!…と、下を向いてトコトコ歩いていたおばあちゃまは梅之助さんの背中に衝突。
背後からいきなり追突され驚いて振り返る梅之助さんを「早く進んでおくれ」とばかりに平然と見返すおばあちゃま。さすがに近くの客席から手が伸びてそのおばあちゃまはぶじ客席へ戻り、また何事もなかった様に舞台は進行したのでした。

かと思うと、白い犬が舞台の下手から上手へ悠然と通り抜けて行った!!エーッ!?
でもお客様には別段珍しいことではないらしく誰も騒がない。

実はその少し前に、私はその白いお犬様に裸の背中を舐められたばかりでした。………(つづく)   2011.8.27

今日から下関…

秋雨前線がずーと居座っているのですね~。下関に降り立った時、街は雨にけぶって何も見えない状態でした。
16日からスタートした九州のツアー…なのになぜ下関?

私も初めはそう思ったけれど…そう、下関は山口県だけどいろんな意味で『九州』なのだそうです。

で、はたまた『お酒』…のはなしデス。スミマセン!

先日も書いた様に、基本的に『日本酒』が好きなのですが、劇団に入って半年めに大阪宗右衛門町の、とあるお店で、生まれて始めていただいた『ひれ酒』。
その香りとコクにすっかり魅せられてしまった私は、その晩1時間足らずの間に、なんと12杯も飲んでしまったそうです。「…そうです」というのは、10杯までしか記憶にないからであります。(キャー!)
それは東京ではひれ酒が飲める処がほとんどなかった1980年代はじめの頃で、お嫁に行くなら下関!!なんて真剣に考えたこともある位、はまってしまったのでした。

それから月日の流れること約30年…ふぐのお酒とひと言で言っても5種類もあることを今夜知りました。
そのうちのひとつ、唐戸の屋台村でいただいたふぐのお酒「白子酒」の美味しかったこと!
うまく言えないけれど、う~んとダシがきいた卵酒の様なコクと味で、ヴィシソワーズの様な口どけ!でした。
今夜はじめて遭遇した「白子酒」のほかに「身酒」「骨酒」とお馴染みの「ひれ酒」…そして「うぐいす」ともいわれる口の部分のお酒…アレ?「なに酒」というんだっけ?どなたかご存知だったら教えて下さ~い!
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(下関の電話box…可愛いけど凄い!)

今夜は行橋在住シーサー館館長で琉球アーティストのみつおさんと豊前にあるお寺のご住職さまと下関の馬関奇兵隊の総督という、おひとりお一人が魅力的で素敵な濃い~面子で、下関の韓国料理の次は鯨とふぐ、〆はイタリアンという国際的な(?)はしご酒でした。

そうそう、昼間の戸畑での女子会も忘れられないお出逢いがありました~!順子ちゃんもありがとう!
 
                                2011.8.23

お酒って!!



世界中にいろいろな原料からさまざまな作り方をしたお酒は数々あれど、一番お料理を美味しく引き立てるのは『日本酒』だそうです。
父が頑固な日本酒党なので、はじめて洗礼を受けたのはもちろん日本酒の純米辛口。
それなのに二十代前半の頃はバーボンだスコッチだと…でも劇団に入って1年もした頃にはすっかり日本酒党に逆戻り。
だって、その土地その土地の恵みの海の幸山の幸、海風や山からのからっ風、湿気や乾燥、甘かったり辛かったりあっさりやこっくりの味付け、それら全てを生かすことができるのがその土地の水と風土からできた日本酒なのですから。

この頃は赤ワインやマッコリを頂く事もありますが、それもやはりその時のお料理に合わせてのこと。結局は食いしん坊なんですねェ。
一番好きな花は黄色い薔薇

私の特技(?)は世界中のあちらこちらで食べて美味しいと思ったお料理をレシピなしで再現すること。だからツアーから帰って何日かお休みが取れる時は、そのうちの一日は温泉、もう一日はずっと台所に。

今、北九州に来て5日め。その土地の味は久方振りに逢ったひとびととの温もりなしでは再現されないことを改めて感じつつ、今日も感謝感謝!!

2011.8.21 一番好きな花…黄色い薔薇(この写真はやっちゃんちのお庭)



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Author:ruw5150
妻倉和子です。

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